雑考:ローカルな実験について

 年末ともなれば皆忙しくなってしまうのか、Xや他の場所でも人々の姿が疎らになっているな、と感じる。私自身はそこまで多忙になることも無かったが、それはそれで侘しい物がある。

 元より人と話すことが多いわけではないが、これでも「人とは何か」を見るためにこういった物は残すようにしている……というよりも、他者の影響こそが自分の行動に左右されない、ランダムなインプットとなり得ることもあり「人」の重要な情報源となっている節がある。勿論、その良し悪しを分類した上での話だ。

 一人暮らし故に材料がパターンに乏しいこともあり続いていた日本酒実験も、一応安定して使えるようになりつつある。 

 調理に関してレシピサイトなどは使うし、gなどもあると助かる。「小々」では困惑するし、出来れば具体的な重量が欲しい。どちらかと云うと理系に近い考え方だ。

 ただ、それを再現したとして必ずしもその重量を守るわけでも無い。「一度はそいつの味を忠実に守って様子を見よう」という姿勢であり、別にそれを作って終わり、という訳でも無い。これは0地点の作成であり、ローカルな調整になればなるほど再現性だって上がっていくと思っている。例えその日に寄って食材や自分の条件が違っても、「県を跨いだ長距離移動」と「同地域内での次の日の食材」ではその差だって小さくなる。

 そういう意味では物理的な距離、時間、人の差を縮めて最終的には一個人としてのローカルな実験を行い続けることは、決して無駄には終わらないんじゃないかと思う。勿論、実験結果を「これはこうだから!」と他者にひけらかすこともしない。あくまで自分の中に留めておく。

 ……それくらいの使い方ならありじゃないか、世俗ではどうなんだろうね……聞いたこともないので正直わからないんだけど。

 

 


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