低リソースでの思考について。
寒くなってきたからか、最近どうにも心身共に上を向くことが出来ずにいる。或いは、金銭不安からの現状への憂いか。
して、それでも私は考えている。先日あったらしいたべ農ざくのイベントとか、デザインとして私が求める理想のような何か、はたまた金が無い時の知識のインプットについて。
特に、最後の課題は喫緊かつ重大だ。長らく(少なくとも5年)愛聴していた放送大学の音声放送は3月でRadikoから撤退することが決まり、新しい本を買う資金も望み薄だ。一人暮らしになってから普段話す友人は大きく目減りし……これは元からだったか、少なくとも今の私にはそういった「学」のインプット先の大きな不足が待っている。
大学が近くにあるものの、一般人が気軽に入れる場所でも無さそうだ。講義の一つでも受けられたら、少しは面白そうではあるけれど。
こういう時、人はどうやって知を補うのだろうか。或いは、補う必要すら感じていないのが「常人」という奴なのだろうか。
こうして思考を巡らせる度、以前にも呟いた「ヘンタイ」という単語と「常識病患者」へもそれが及んだり、及ばなかったりする。
私にとっての思考は、そうした「空気」への抵抗の一つである。いつか、私の孤独が晴らせますように。