魔改造を想う

 数日の間、魔改造について考えていた。勿論、たべラジのエッセイの影響も大きいのだけど私がWEB関係をしよう、と思ったきっかけが正しく「魔改造」であるからだ。

 WEBサイトが乱立してから早何十年、WEBを使ったサービスを利用してない日が無い程の世界になって久しいが「このサイト使いにくいな……」と思ったことは誰しも一度や二度はあるはずだ。……というより、ある前提で進めさせて欲しい。話が進まないから。

 そんな時、大抵の人は「別のところにしよう」とかで去ってしまうらしいのだけども生憎私はそうならなかった。邪魔な広告も醜悪なレイアウトも、可視性の悪い配色も全ては見かけ上であり、その情報の価値そのものには一切の関係がないとなったらしいし、勿論今でもそう思っている。

 故に私は「何故見難いのか」を分析してそれを徹底的に解剖し整えることを試みた。思考で云えば「理解のための咀嚼」みたいな段階だ。コードを読み、上書きし、時に外部ツールを使用してスクレイプ(抽出)まで試みたのは、今考えればそんな気力が何処にあったのかがわからない。

 その結果、気付いたらこうなっていたんじゃなかったか。思えば、昔から機械をばらしてパーツを眺めたりひたすら一つの思考を納得するまで細分化していた気がする。その延長線にモニターやデザイン、UIがあったと云えば良いだろうか。

 一応、投稿自体は2日に1個程度だけど、その間何も考えていない訳ではない。

 Xなんかでは頻繁に呟いているし、酷い場合はそこで終始してしまうケースすらある。再度文章にしようとしても消化済みだから清書にしかならず、記事にもならない物の数々が埋まっている。

……サイトが出来たらXは埋め込んでもいいかもしれないな、いつまであれが存続するかは別として。

 


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