「使う」の細分化

 ここしばらく「使う」ということについて考えている。「使用は知識と利用の間にあるんじゃないか」とか、そんな具合に。

 とりあえず思い浮かぶケースをざっくり2つに分類するなら、なんとなく過去と未来の2つになる気がしている。

 未来、つまり「使える」は知識を仕入れる時点で運用を含めた計画を立てているケース。

 その事例の幾どが単発型で、その大半は既に使われた後で古い状態にある。大学の勉強や、昔やっていた革細工がそれに当たるだろうか。或いは現行で色々試している日常の些細な実験や制作なんかもそれに近いと思う。

 もう片方は「使えた」という過去を振り返ることでわかる結果論的な使用。いつか使えると思って仕入れていた知識が、あの時こう使えていたんじゃないか……みたいな、分析して初めてわかる影響。

 他にも積層的な蓄積なんかの例外ケースはあるが、私の中では前者の方が圧倒的に多い。ゴールが見えていることで、リソースの配分計算が出来るのだろう。実際にそれが出来るかは別として、これがモチベーションの向上に大いに貢献しているのは間違いない。

 こうして考えると、私は仕入れる知識に対する「目利き」みたいなものが大いに欠けているのだろう、ということはわかるがここをどうするかわかっていたら苦労していない気がするし、何よりそれも目利き次第では解決出来たのだろう。これでは不足の連鎖、或いは入れ子構造だ。

 ……私には未だ難題に見えるこれも他の人々は既に解決済みなのだろうな、多分。


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